ブラこみだらだら紀行

最近忘れっぽいのでたまの休日の趣味の記憶を忘れないようにと・・・

畠山重忠ゆかりの地行ってきた!

昨年ブームだった大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。武士の鑑と言われた畠山重忠ゆかりの地行ってきた。相鉄線鶴ヶ峰駅から旭区役所の方に5分くらい歩いて向かうと、重忠公の首を洗った井戸跡、その首を祀った首塚があり、そこを抜けて更に3分ほど歩いて大きな交差点の先の角には終焉の地があった。畠山重忠源頼朝に仕え、頼朝亡き後も北条氏らと共に鎌倉幕府を支えていたが、北条時政(きっかけは牧の方)に嵌められ、謀反の疑いをかけられ、この地で北条義時らに討伐されたのである。(二俣川の戦い)直前には重忠の子供畠山重保も鎌倉で三浦義村に討たれたのでる。二俣川の戦いは時重忠公の軍勢は130騎ほど。負けるとわかっていても潔く戦うことが武士の本懐と深谷に戻り態勢を整えようとはせず、少数で戦い散ったのである。男気のある武士の鑑。ずっと行きたくてしょうがなかったけど、やっとその機会があって終焉の地で手を合わせてきました。その横には有名は「さかさ矢竹」があった。元々はこの場所ではなかったらしい。これは、ちょっと切ない気持ちでした。重忠公は、死ぬ直前に「我が心正かればこの矢にて枝葉を生じ繁茂せよ」といって、2本の矢を地面に突き刺し、その矢が毎年2本ずつ増えていったとの伝説がある。もっと早くに来ていれば良かった!

武蔵の若武者・畠山重忠が辿った生涯と人物像に迫る|「鎌倉武士の鑑」の生き様とは?【日本史人物伝】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト (serai.jp)

二俣川の戦い史跡解説~横浜市にある「畠山重忠の乱」関連史跡の周り方 – 武将人物情報・史跡情報「歴史観」 (rekan.jp)

畠山重忠終焉の地・畠山重忠公碑・さかさ矢竹/~横浜市旭区~ (yoritomo-japan.com)